明るい日陰
植物は適切な灌水頻度、日照条件、栄養状態を整えてやらねば上手く育たない。特に日照は植物にとって重要な要素であるが、人工的にそれを作り出すことはなかなかに難しい。よって、各々の植物に適した日当たりの場所を探し出す必要があるが、時折、明るい日 陰がふさわしい、とされるものがある。字句通りに捉えるならば、光と影を同時に満たす場所でなくてはならず、矛盾めいたこの明るさは一体どういうものかと戸惑う。レース越しに光が差す室内、木漏れ日の中、短時間だけ日が差し込む場所など、それらしい環境を 想像してみるが、いずれも照度を実測すればかなりの開きがあるはずであり、どれもが正解ではないように思える。いくつかの園芸書を開いて総合してみると、どうやら間接的な陽光によって仄かな明るさを感じるような日陰であるらしいことがわかる。そうと知ってもなお、明るい日陰という言い回しからは依然としてはっきりとした明るさのヴィジョンが掴みにくい。失敗を踏まえた経験に頼るほかないとでも突き放すかのようなこの曖昧さはやはり興味深い。しかし、生殺与奪に関する知見に確証を得ないままにそれと向き合うことが許されるという状況は、歪んだ感情に居場所を与えるようでどうにも座りが悪い。
齊藤拓未の絵画を初めて目にした時、それとよく似た感情を抱いた。率直に言えば、若干の気まずさを覚えた。齊藤の絵には、他者の日常に向ける密やかな眼差しへの躊躇いと同時に、その抗い難い欲望に服従することへの倒錯的な幸福も感じられたからである。目を向けずにはいられない、という欲求。そこに憧憬、郷愁、慕情などがない交ぜになった複雑な感情が淡く滲んでいる。愛おしむことと弄することとの曖昧な境界で無自覚に揺れ動く子どものような、危ういあどけなさがある。穏やかな階調に整えられた陰影の少ない色彩、丸みを帯びた素朴な輪郭。そして少女たちの何を思うでもないアルカイックな表情は、孤と楕円を組み合わせただけの簡素な目の表現がそう感じさせるのだろう。様式的な描画上の表現は齊藤の窃視的な視線の気まずさを柔らげるレースのように機能しているだろう。『作者の死』[1]とはロラン・バルトのテキスト論1にある通りだが、画家の存在を一時的にでも思慮の外に置いておくことは、鑑賞者にとっては雑音なく作品を感受でき、作品そのものを分析しやすい状況を作る。だが、齊藤の絵はどうかといえばそうもさせてはくれない。決して自らを死に追いやるようなことはせず、目線という自我を露わにしている。その目が何らさもしい感情を含まないことは断言できるが、その窃視的態度にはささやかな暴力性が内在することを否定はしない。齊藤という作者を忘却し、そこに描かれているもののみを純粋に見ようと努力すればするほど、作品に漂う一抹の危うさに同化しそうになってやはり気まずい。これは優しい、しかし見る者を絡めとる畏怖すべき 絵だ。ならば、少しずつ解きほぐしてまずはこの気まずさを手懐けるとしよう。
齊藤は少女たちばかりではなく、誰もいない公園や、木々の風景、小さな玩具なども作品として描いている。まずはそれらの作品について考えてみたい。皆が見過ごしてしまう、あるいは気に留めることなどないような場所や物こそが齊藤の目には非常に魅力的に映るらしい。ふと、少女たちのあのぼんやりとした眼差しの先にある景色を描いているのではないか、と穿った空想も一瞬頭をよぎるが、あれらは少女たちの虚な目線に重ねるにはやや鋭く、言うなれば場所の「地霊」[2]を探すような精神が宿るように思われたのでその考えは捨てた。建築家イグナシ・デ・ソ ラ=モラレスが語った「Terrain Vague」 (空き地)[3]という概念は、都市の空隙に現れ る空き地を意味し、いわゆる放棄地であったり、持て余された場所のことだ。いかに機能的かつ効率的に作られた都市の中であっても、歪みというものは必ずどこかに生まれる。建築や都市計画とはそうした歪 み=空き地を潰していく。ソラ=モラレスは「植民地建設」と表現しているが正にそのようなものだろう。都市という簒奪者から見放されている、もしくは逃げ仰せている束の間の休眠地=「Terrain Vague」を対象とすることで、美術表現は都市に内在する未知を導き出している。齊藤の目も同 じである。人気のない寂れた公園で載せる子どもの姿もなく佇む遊具は、かつてそこにあったはずの賑わいの不在を突きつけるばかりだ。なぜその場所は廃れてしまったのかと、その理由を問うているのではなく、その満たされない場所=「Terrain Vague」に漂う不在と、それによって生ずる未知を描いている。クリスチャン・ノベ ルグ=シュルツが言う「地霊(Genius Loci)」とは、その場所に過去堆積し続けた歴史と精神を文脈として汲む態度のことだが、「Terrain Vague」の未知とは、摩耗した「地霊」が残りわずかばかりの痕跡をとどめている状況だと言える。斎藤はここでは、もはや彼女にしか感知し得ないほどの微弱な「地霊」から感受したイメージを、そっと絵に収めている。
未知であり、曖昧なもの。少女の絵に戻ろう。齊藤は、少女たちを肖像として描いてはいない。彼女たちは「未だ」何者でもない「曖昧」な存在として描かれている。アイドルタイムの少女たちがぼんやりとした表情を浮かべている。しかし、目だ。取り繕うことのな い素顔を無防備に晒している彼女たちの瞳には光がない。何者でもない彼女たちは見られていることを意識していないし、瞳がこちら を向いていたとしても決して「見て」はいない。絵の中の少女たちにとっての不在とは、齊藤であり、私たちである。不在のものと視線が交わろうはずがない。交わらぬのであれば、互いにそれを跳ね返し合うのだろうか?『鏡の国のアリス(Through the Looking- Glass and What Alice Found There)』[4]は、黒猫のキティと白猫のスノードロップの対比的な描写から物語が始まる。二匹の猫の存在は、似ていながらも同一ではないものを生み出す鏡の役割を冒頭から読者の意識に刷り込む。キティとスノードロップはいたずら好き の黒猫と良い子の白猫であるが、鏡の世界では教導的に振る舞う赤の女王とやや精彩を欠く白の女王とに変じて、各々のバランスが反転する。鏡の世界は現実の似姿を映すけれどもやはり違っている。アリスが鏡の世界に入る瞬間、彼女はくるくると部屋中のものを手 鏡に映しながら、キティにその反射する世界を見せて回る。そして、鏡の世界に入った瞬間、そこが現実と異なっていることに気付い て、少女は不安がるどころか嬉々としてはしゃぐ。鏡像の世界は現実そのままを写しとっているようでいて、明らかな別物であるのだ。ヴィクトル・ストイキツァは『影の歴史』の中でプリニウスの『博物誌』以後の先人たちが影や鏡を通して絵画の起源をいかに見 出していこうとしたかを論じていくが、その中で「…いつも、君たちが見ているのと反対の側は、影に覆われている…」とアルベルティの『絵画論』の一節を紹介している[5]。物体に当たる光が遮られることで影が投射されるのであれば、その逆側には反射された光が必ずある。ストイキツァはアルベルティが影を鏡のパラダイムの支配下に置いているとしてやや批判的にこれを引用しているがその意図 とは別にしても、この光と影の鏡合わせの関係性は示唆に富んでいる。視線とは彼我の光の交換であるから、向き合う両者が等しい明 るさを有していればこそ視線は睦まじく交わる。一方の光が強すぎればそれは対象を抉り、収奪するばかりで、その限りにおいて見るという行為は暴力的である。だからこそ、齊藤の絵は常に白んでいる。自らの視線を明るく曇らせている。明るい影が差す。ストイキツァは『影の歴史』序文[6]においてヘーゲルを引いている。光と影は、完全な光でも完全な闇でも認識され得ないという点では同一であり、それぞれに曇らされた光と照らされた闇という相互に作用し合う関係になって始めて両者を弁別する議論が可能となる。いきすぎた光は全てをかき消してしまい、闇も深くなればなるほど全てを飲みこむ。人の目に映る世界はその狭間でほそぼそと成立している。この、人に許された明るさの領域のさらに狭い範囲に齊藤の絵画世界はささやかに存在している。いずれ、そこにまばゆい光が差しこめば、この光景はより眩く映るのかもしれない。しかし、それでは少女たちに向けられていた密やかな齊藤の視線も同様に強くあらねば、彼女たちの姿はきっと光にかき消えてしまうだろう。この密やかな場所に強い光は要らない。気まずさに耐えかねようとも、 この儚くて曖昧な場所に強い眼差しを向けてはならない。ここは社会とか、富とか、政治とか、ギラギラした大人たちが作り出す煩わしい事象の隙間にぽつりと開いた、安全で曖昧な空き地なのだ。何者でもないことが許される。薄明の中では何も見えないふりをすることもまた許されるだろう。齊藤の絵は、明るい日陰の中で存在を許されたものたちを、気付かれないようそっと絵の中に閉じ込めておく。
[1] ロラン・バルト「作者の死」、『物語の構造分析』(訳:花輪光)、みすず書房、1979
[2]クリスチャン・ノベルグ=シュルツ『ゲニウス・ロキ 建築の現象学をめざして』(共訳:加藤邦男・田崎裕生)、住まいの図書館出版局、1994
[3]イグナシ・デ・ソラ=モラレス・ルビオー「テラン・ヴァーグ」(訳:田中純),、『Anyplace 場所の諸問題』、NTT出版、1996、pp128-134
[4]ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』(画:ヤン・シュヴァンクマイエル / 訳:久美里美)、エスクァイアマガジンジャパン、2006
[5]ヴィクトル・I. ストイキツァ『影の歴史』(訳:岡田温司・西田兼)、平凡社、2008、p.80
[6]ヴィクトル・I. ストイキツァ『影の歴史』(訳:岡田温司・西田兼)、平凡社、2008、p.7
文・小林健